先月祖母が亡くなりました。享年94歳でした。
主治医から「食欲が落ちている」と連絡が入ったと父から聞いて、その後2週間で息を引き取りました。
死因は老衰でした。闘病の末の最期ではなかったのが良かったかなと。
泣きました。でも、その涙は…
亡くなった知らせを聞いたら、きっと「悲しい」という感情が来ると思っていました。
でも私に訪れたのは悲しい感情ではなかった。
もちろん葬儀では泣いたし、寂しい気持ちになりました。
でもそれは「悲しい・辛い・どうして」という気持ちからではなくて、祖母との記憶を思い出して溢れる気持ちと涙でした。
いとこを見て、自分が非情に思えた
葬儀の前、祖母の棺を見たいとこが泣き崩れていました。
支えがないと立っていられない状態で、お線香をあげようとしても手が震えてまともにできない。
斎場に来るまでの道中も、近づくにつれてパニック状態になってしまったそうで。。。
結局、出棺を遠くから見守ることしかできず、葬儀・火葬の場には居られなかった。お骨が自宅に戻ってきてから、心を奮い立たせてやっと来ることができたほどの悲しみを彼女は感じていました。
私はそれを目の当たりにして、ふと思いました。
あのように悲しむことができなかった私は、”非情”なのではないか、と。
妹の言葉に救われた
葬儀の翌日、このことを妹に話したら、こう言われました。
「感情の出し方は人それぞれだよ。黙して耐える人もいれば、激情型もいる。
私たちの場合、親が感情を切り離して事実を受け止めているところを見て育っているから、表現が分かりづらいだけ。
おばあちゃんの場合年齢的なものもあるから、来る時が来たと感じているのも事実だし、だからといって悲しんでいないわけではないと思う。」
少し救われました。
いとこと私とでは、物理的にも関係値としても祖母との距離が違う。
私は新幹線の距離で、いとこは徒歩圏内。
日々の生活の中で祖母との関わりがとても強く、母子ともに祖母によく会いに行っていたいとこが、年齢的なものとはいえ祖母の死を目の当たりにして泣き崩れてしまうのは仕方のないこと。
物理的な距離は、多少心の距離と冷静さを生んでしまうのかもしれない。
でも、だからといって悲しんでいないわけではないし、推し量るものでもない。
悲しみの表現は人それぞれで、私たちは強く感情を表に出すことをしないだけだ。と。
私の死生観:タイミングが来て、帰っただけ
人は必ず死ぬ。
これは、産まれた瞬間から全ての人に課せられた結論で避けることはできない。
だから”死”はいつ誰に起こるかわからないけれど、必ずやってくる。と私にとっては当たり前の感覚として根付いています。
親にそう教えられたわけではなく、いつの間にか私の中に芽生えていた持論です。
だから94歳まで生きた祖母が老衰で亡くなったことは、「タイミングが来て帰っただけ」という感覚にしかなりません。
これは悲観的な意味ではなく、ただそういうものだと思っている。
たとえ両親が返ったとしても、泣き崩れてパニックを起こすほどにはならないかもしれない…と感じています。
もちろん私のこの感覚が一般的な死生観とは少し違うのかもしれない、という自覚はあります。
祖母の記憶
晩年は老人ホームで過ごしていて、痴呆もあったようです。
コロナのタイミングもあって、施設に入った祖母に会えたのは1〜2回だったと思います。
最後に会えたのはいつだろうか?
会話して触れることができたのはいつだろうか?
それを思い出せないぐらい前でした。
それでも、小さい頃の記憶はたくさんあります。
祖母はいつも穏やかで優しい人でした。
派手なエピソードは特にありませんでしたが、祖母の家に帰るといつも温かい笑顔と声で「おかえり〜」と迎えてくれました。
料理が上手で、手先が器用でした。
セーターを編んでもらったことがあります。
祖母の家には、レースの刺繍やクロスステッチのクッションカバーがたくさんあって、どこを見ても祖母の手仕事がありました。
父の実家に置かれている小物類は全て祖母の温かさに溢れていて、食器棚に大切に保管されていた置物は孫たちからのお土産や作品がたくさん飾られていました。
余談:祖父は正反対だった
6年ほど前に亡くなった祖父は、言葉を選ばずに言えば私が苦手なタイプの人。
自身の基準が明確な人で、自分こそルール。族長である!と口に出すような人でした。
昔ながらの人ですね。
両親の教育方針で、自由に伸び伸びと育てられた私たちは、祖父の理想の孫ではなく、幾度となく理不尽な口撃をされたものです。
だからこそ祖母が大好きでした。
穏やかな祖母と正反対の祖父がいたからこそ、祖母の優しさが際立っていたのかもしれません。
「悲しくない」は薄情じゃない
本題に戻りますが、悲しみの形は人それぞれです。
涙が出なくても、大声で泣いても、どちらも本物だと思います。
私は思い出を想う涙は出ました。
でも「なぜ死んだ」「もっと生きてほしかった」という涙は出なかった。それが今の私の死生観であり、これは薄情ではないと自分では思っています。
94歳、老衰、大往生。
タイミングが来て、帰っただけ。
私がそう思える生涯を送ってくれた祖母に感謝。
祖母が私に与えてくれた慈愛を胸に、私は私らしく生きていこう。
そう思いました。